当初は株式を中心にしたロング・ショートの取引が基本

当初は株式を中心にしたロングーショートの取引が基本であったが、一九八〇年代以降、レーガンサッチャーの進めた金融市場や資本移動の自由化政策の結果、投資の対象も株式、債券、通貨、商品などあらゆる資産にまたがって行われるようになってきた。

それでも当初は、金融機関等が国際取引での損失をヘッジ(回避)するために利用したぐらいで、大規模なものではなかった。しかし、やがて先物、オプション、スワップといったコンピュータを駆使した運用方法が開発され、国際金融取引の主流に躍り出る。そのため、この分野に進出するものが続出し、三〇〇〇億ドルもの資産が運用されているといわれる。

ただ三十年を越えて存在しているのはソロス氏のファンドくらいである。しかも、トータルで収益を上げているファンドは五千のうち、ほんの一握りに過ぎない。

過去五年間に限ってみても、情報公開している(成功している)ファンドでも、手数料を払った後の純益は平均すると投資額の一九パーセントほどと言われる。その他、四千近いファンドは、失敗すれば夜逃げ同然で姿をくらましてしまうようなところが多いのが実態なのである。

そのため、ヘッジファンド業界は「ヒット・エンド・ラン」産業とも言われている。正直言って、ソロス氏の「クォンタム・ファンド」やロバートソン氏の「タイガー・ファンド」などは例外中の例外なのである。

ソロス氏の先読みは、通常数力月単位の場合が多いが、ヨーロッパやアジアの通貨危機の際のように、二〜三年の仕込み期間をかけて、狙った市場を取り巻く環境が整うのを待つこともあった。その間、相手市場の動きと政府の政策のギャップが起こり、マーケットが混乱するきつかけを見極める。

時には、そのようなきっかけを自ら仕掛けることもある。そして、満を持して行動を起こす。それに大勢のファンドが従うのである。投資家はそのようなツロス流の短・長とりまぜた投機戦略の実績や市場を動かす「旗振り役」としてのパワーに高い評価を与えているのである。