ナチス占領下の原体験

ソロス氏は一九三〇年、ハンガリーの首都ブダペストで、ユダヤ人の両親のもとに生まれた。第二次大戦中は、ナチス・ドイツハンガリーを侵略し、多数のユダヤ人が強制収容所送りとなった。ソロス少年の父親はもともと法律家であったが、オーストリア・ハンガリー帝国の兵士として従軍し、ロシア軍の捕虜となる。

しかし、なんとか収容所から脱出し、シベリアを逃げ回った。その父親の血を引いていたソロス少年も、ナチス占領下のブダペストを巧みに逃げ回り、九死に一生を得たという。後にソロス氏が語ったところによると、

「私は父から貴重な教えを授かった。ドイツ軍が侵入してきた非常事態の下では、法律などあってなきがごときものだ。戦時下においては、通常のルールは意味を失う。平時に通用したような考えを一切捨てなければ生き残れない。そう言って、父は家族全員に生き残るための偽造身分証明書を作ってくれた。ひとりひとり全く違う人間に生まれ変わった。私は農業省の役人の養子にされた。新しい父親の仕事はユダヤ人の財産を没収することだった。本当の父と別れた後、私は書類上の父に連れられ、ユダヤ人の財産をかすめ取る仕事をさせられた。そんな体験は一刻も早く忘れたいと思うが、忘れられない。記憶の底にこびりついた奇妙な思い出となり、今でもまとわりついている。思えば、これが今の自分の原体験のような気がする。なにせ、その時、私は十四歳になったばかりだった」(一九九三年、WNET・TVのインタビュー)


生きのびるためとはいえ、同胞の財産没収の手伝いをさせられたソロス少年が、そのような過去を捨てたいと思うのも当然かもしれない。そして、今でもそのような過去に触れられたくないと考え、話題をそらすのも頷けなくはない。自らの生い立ちについてかなり詳しく語っている『ソロス・オン・ソロス』の中でも、本当の父親をヒーローのごとく紹介しているが、書類上の父については一言も触れていないのである。

戦争が終わって、一九四七年になると、ソ連支配下に入ったハンガリーを逃れ、彼はひとりで英国のロンドンへ渡った。彼はすでに十七歳になっていた。職を移り変わりながら、二年後にはロンドン・スクール・オブ・エコノミックスという名門大学に入る。

大学で学んだのは経済学であったが、そこで著名な哲学者、カール・ポッパー氏と出会い、「開かれた社会」という思想の虜になった。ナチスの迫害を直接体験したソロス青年には、ポッパー氏の思想は「天からの恵み」と映ったようだ。後に彼が創設した慈善団体の名前を「オープン・ソサエティ」財団としたのも、この思想の影響が大きいといわれている。