新しいマーケット・ヒーローの誕生

その一方、一九七九年には、蓄えた私財を投入し、慈善活動のための「オープン・ソサエティ」財団を設立し、アジア、中南米諸国(後には旧ソ連、東欧諸国も含めて)の民主化市場経済への移行を支援するようになる。フィランソロピスト(慈善家)・ソロス氏の誕生である。

これには、節税対策という現実的な背景が隠されていたのだが、一見すると、これでソロス氏は名実ともに「現代のロビン・フッド」の役を獲得したことになった。

一九九二年の欧州通貨危機に際しては、ポンド防衛に動いた英国政府に対し、徹底したポンド売りで対抗、英国中央銀行を欧州為替相場カニズム(ERM)から離脱させてしまった。

この結果、ソロス氏は一五億ドルを稼いだともいわれ、「希代の相場師」とか「英国を屈伏させた錬金術師」といった異名を取る。新しいマーケット・ヒーローの誕生であった。

そうこうするうちに、「ソロス氏が動いた」といったウワサだけで、市場が反応するまでになってきた。先に述べた、ソロス流「ウワサ戦略」が効果を発揮するようになり、本人もそれを自覚するようになったのである。

ソロス氏に関する本や記事には、どこでも以上のような略歴が紹介されている。しかし、それらを何十冊読んでも、いくつかの疑問点は解消されない。ハンガリーの難民少年が、どうして単身で英国まで脱出でき、しかもロンドンの名門大学にすんなり入学できたのか(本人はイギリスにいた、手紙を書いても返事をくれたことのない親戚が裏で手を回してくれた、と言うのだが)。

ニューヨークで、へッジファンドを設立して大成功を収めたといわれるが、最初に投資したのは誰なのか(本人は出資額を聞かれても、ごくわずかだった、としか答えようとしない)。

また「逆張り」で大儲けをしたというが、相場師に浮き沈みはつきもの。本人の言うように、時に数十億ドル単位の損失を被りながら、三十年近くもデリバティブの最前線で成功を続けることが本当に可能なのか。