ロスチャイルド家の影

この問いに対する答えになるかどうかは不明だが、一つのヒントになると思われる事実はある。ロスチャイルド家の影である。ソロス氏がアメリカへ移住したのは一九五六年。それまでは、本人の弁によれば英国金融の中心、シティの銀行や金融ブローカーのもとで外貨取引や株式の国際的な裁定取引の修業をしていたのである。そこでみっちり英国の銀行の実態も学んだわけで、これが、後に英国の中央銀行と渡り合う時、大いに役立つことになった。

ニューヨークに来てからは、グリニッチ・ヴィレッジの小さなアパートに住みながら、いくつかの投資会社を渡り歩き、自らの哲学と金融観を一冊の本にまとめ上げた。これが後に彼の著書の一冊『金融の錬金術』(邦題『相場の心を読む』)になったのである。その後、仲間とともに、「アーノルド・アンド・S・ブレイシュローダー」社のポートフォリオ(資産管理)・マネージャーになる。この会社は歴史が古く、英国のロスチャイルド家などヨーロッパ財閥のアメリカ資産の運用を専門で行っていた。いわば、ヨーロッパ財閥お抱えのプライベート・バンクのひとつであった。

そこでの経験や人脈を元手に後の「クォンタム・ファンド」を設立し、ソロス氏は独立することになる。その際、彼の独立を全面的に支援したのは、ロンドンの金融会社「キットカット・アンド・エイトケン」であった。

耳慣れない会社と思われようが、この会社はカナダーロイヤル銀行の傘下にあり、英国の外務省や大蔵省の海外における代理人的役割を果していると見られる。というのも、親会社のカナダ・ロイヤル銀行の頭取ジェームズ・ボール卿は英国大蔵省の顧問を務めているからである。

このロイヤル銀行こそソロス氏を大きく育てた資金源の一つといえよう。そしてソロス氏のヘッジファンドに対する有力なスポンサーなのである。なにしろ、同銀行が運用する預金や年金ファンドは七〇〇〇億ドルを越すといわれている。

が、一九九八年に開かれた「ロシアとアジアの通貨不安と倫理問題」と題された国際会議に出席していたスイスやオーストリアの金融専門家によれば、実はこのロイヤル銀行を上回る規模でソロス氏を陰で支えているのが、ロンドン・ロスチャイルド銀行なのだという。ロスチャイルド・ファミリーはハンガリーから逃れてきたユダヤの少年の将来を見込んで、名門中の名門、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスに送り、経済の基礎を教え、卒業するとロンドンの銀行で実務を教え込んだ。

その上で、アメリカに送り込んだのだという。アメリカの市民権を獲得し、ウォールストリートで活躍し、英国のポンド危機では一五億ドルとか二〇億ドルも稼いだといわれたため、ソロス氏はドル市場(すなわちアメリカ資本)の代弁者と見られがちであるが、実際には必ずしもそうではないかもしれない。

なぜなら、その背景や人脈からいっても、ソロス氏を後押しして、その何倍も儲けているのは、ロンドン・ロスチャイルドやカナダ・ロイヤルなど英国系の銀行だからである。ロンドン・ロスチャイルド一家は英国王室とは特に祀懇な関係にあり、ソロス氏も英国王室の資産運用に直接タッチするようになった。彼のもとで働いたことのあるアメリカ人のトレーダーによると、ソロス氏の口癖は「エリザベス女王陛下の資産運用をお手伝いしている」ということらしい。いうまでもなく、エリザベス女王といえば、ヨーロッパ最大の資産家である。