クスイムンが観光になる

たとえば高糖度トマトというのがある。普通のトマトは直径一〇センチで重さも二〇○グラム以上あるが、これはその半分にも満たない。しかし、甘くて香りが強く、うまみも濃縮されて、じつにおいしいのだ。値段も普通のトマトの数倍から一〇倍以上もするが、それでも売れている。これが出回りはじめたのが九〇年代後半だった。現在、日本の種苗会社は、収穫量の多い野菜から、健康でおいしい野菜の開発にしのぎを削っている。ところが、沖縄の農産物にはすでにこの二つの条件がそろっているのだ。これは、まぎれもなく沖縄の土地と気候が与えてくれた財産であろう。

二〇〇三年に沖縄観光リゾート局が、人間ドックの受診者二〇人を対象に、北部地区(本部町)と南部地区(知念)で、沖縄の食材を用いた食事を中心に、軽い運動や観光を組み合わせたツアーを実施した。期間は六日間と非常に短かったが、中性脂肪や810HDG(活性酸素などによってできた酸化物質)が改善され、参加者からも「体が軽い」「ストレスがなくなった」といった声が寄せられたという。また、小児ぜんそくや糖尿病の患者らを対象にしたツアーでも症状の改善が見られたと報告されている。それなのに、肝心の観光客にはほとんど知られていない。これら「体にいい観光」(健康保養型観光)ほど、沖縄の観光にふさわしいものはない。メタボリックが問題になっている現在、これほどニーズにあった観光はないだろう。

もっとも、沖縄の平均寿命がさらに下がり、寝たきりの人が増えてくれば、いくら沖縄が健康長寿の島といっても、牛肉や食品の偽装事件と同じで、誰も信用しなくなる。沖縄の健康を売るには、県民自らが健康になるしかないのだ。年を取ったとき、沖縄ほどすばらしい島はないだろうと思ったのは、かつて那覇の栄町を放浪していたときだ。戦後、沖縄の大密貿易時代のことを知りたくて一軒ずつ尋ね回ったのだが、「旅の人」である私にそんなことをしゃべってくれるはずもなく、はたと困っていたときに、沖縄のある教授から、「栄町の飲み屋に行ってみるといいよ」と言われたのだ。

「栄町はね、戦後復興の過程でできた飲食街で、密貿易で稼いだ男たちは、たいていここで飲むか、料亭で散在したんだよ。料亭といっても、まあ、売春宿に近いものだったがね。それはともかく、栄町で飲んでいた連中が、今も栄町で飲んでいるらしい。一軒ずつ回ると、ナツコを知ってる人もいるかもしれんよ」というわけで、その言葉を頼りに、さっそく栄町のバーをハシゴした。九四年か九五年頃で、実際、飲んでいた客のほとんどは年寄りだったように思う。でも、私はそういう店が結構好きだった。年寄りの話を聞くのが好きなのかもしれない。それはそれで楽しんだのだが、あるスナックの入り口にこんな張り紙がしてあった。

「ふん?」と首をかしげ、私はすぐ納得した。なぜなら、私が飲み歩いていた店のママといえば大半が七〇才以上で、ホステスも負けず劣らずの女性だったからだ。もちろん客も同じである。つまり、老人倶楽部の寄り合いのようなものなのだ。しかし、所詮舞台は飲み屋である。なかにはオジイとオバアの恋の駆け引きもあったりして、けっこうスリルがある。ここを一度でも体験したら、老人ホームなんて絶対に行きたくなくなること請け合いだった。さすが長寿の島と私は感心したが、年寄りを邪魔者扱いにする本土に比べ、こういうところで気軽に遊べる年寄り社会があることに、なんて素晴らしい島だろうと思ったりしたものだ。