電子メディア肯定派

そこで早速私も、バーカーツの『グーテンベルグ挽歌−電子メディア時代の読書』とマレーの『ホロデッキ上のハムレットサイバースペースにおける物語の未来』の原文を入手して読んでみた。まず、電子メディアに対して否定的な立場に立つバーカーツは、新しいメディアの出現をある程度歴史的な必然とはしながらも、活字から電子メディアに代わることによってかけがえのないものが失われると見なしている。

すなわち彼はこう言っている。読書をしているときには、われわれはただ単に鋲面の活字を追っているのではない。そうではなくて、いろいろなことを瞑想し、自己自身を見つめている。読書は、われわれに内省を促し、自己と向かい合う機会を与え、《自己》を確立させる働きを持っている。新しい電子メディアは、たしかに即時性とネットワーク性という有力な利点を持ってはいるか、それと引き換えに、読書にあった内省や個別性を失わせる、と。

他方、電子メディア肯定派のJ・H・マレー女史の方は、あくまで、電子メディアを活字メディアの《拡張》としてとらえ、時空に拘束されないマルチメディアを駆使することの可能なデジタルーストーリーテリングこそ、伝達・表現の仕方に新しい次元を開くはずだとしている。彼女によれば、これまでにもホメロスシェイクスピアは、時代の変化のなかでさまざまなメディアの変化によって表現力を失ったのではない。

かえってかれらによって次々に、隠されていた魅力が新しく引き出されたではないか、というのである。したがって彼女の立場も、単なるニューメディアの礼讃ではない。そうではなくて、文学の名に値する文学の底力と柔軟性を活字文化や書物をこえたところに見ているのである。

さて、このような二人の論争に、さらに、最初に触れたマラルメの「言語・書物・最新流行」を重ね合せてみると、いっそう面白い。というのも、まず、彼は「世界は一冊の本へと到るためにつくられているのです」というあまりにも有名なことばを遺しているからである。このマラルメの考え方は、一見バーカーツのものにきわめて近いようにみえるだろう。だがしかし、必ずしもそうではない。