優柔不断な男

私は、自分の周辺になくなったからといって、めったに消滅という言葉は使えないなあ、と反省した。けれども、衰微だとか激減という言葉は使える。詩吟も浪曲も講談も衰微した。激減をただちに衰微とは言えないものも、世の中にはいろいろあるのではないか、と思う。けれども、たとえば、映画館の数や、銭湯の数が、ひところより激減していることは確かである。ただし、それは、映画そのものか衰微したということではないし、人が入浴しなくなったということではない。

映画館が減ったのは、人々が、テレビやビデオで見て満足しているからである。銭湯が減ったのは人々が風呂のある家や部屋に住むようになったからである。だが、映画館や銭湯は、激減しても、消滅してしまうということはないだろう。ただ、映画館の激減は、もうこの辺で止まるだろうと思われるが、銭湯は、まだまだ減るのではないかという気がす

今はまだ、青山にも、三丁目に清水湯というのが一軒あって、私は、自分の部屋の入浴と清水湯行きを併用しているが、清水湯よ、廃業しないでおくれ、と思っている。六月の入梅のころから、秋風が吹き始めるころまでの暑い季節は、銭湯へ行く回数が多くなる。大きな浴槽というのがいいし、銭湯は、一億総中流になる前の、つまり、日本も私も、もっと貧しかった時期の郷愁を甦えらせる。

やはり総中流よりは、貧しい人の多かった時代の方が、面白くもあり、味もあったな、などと私は思う。それに銭湯に入れるぐらいの貧しさなら、貧しいとは言えないな、とも思う。茶色の川で水浴するだけの人が、世界にはゴマンといるのだから。後悔あさはかな判断で感情に走り、愚行を演じ、悪い結果が出て、しかし、本人は言う。「でもあたし、後悔はしていないわ」。ちゃちなドラマによく使われるセリフである。

ドラマではなく、実際の生活でも、そういうことを言って、突っ張っている人がいる。そういう突っ張り方は、結構人に好まれ、共感を呼ぶのかもしれない。だからドラマなどでも軽薄に多用されるのであろう。今は、男らしさだの女らしさだのといったことが、あまり求められない世の中になっているようだが、後悔だの、愚痴だの、優柔不断だのは、男らしくないものとされて来た。男らしくないと言われたくない男たちは、だから後悔したり、愚痴をこぽしたりしないように努める。人はまず外見を飾る。女が男らしさを求め、後悔や愚痴が、男らしさを損うものと言えば、男も、そのように装おう。