文明批評的な方法

私がまだ論壇時評を続けていた1976年5月、既に第2章で触れた社会学者ダニエル・ベルとの対談の企画が「東京新聞」でたてられた。そして私はアメリカに渡ってベルと会うことになった。この対談を契機に私はベルの広い学識と現代社会に対する深い見通しにすっかり引き付けられてしまった。しかも彼は今日のアメリカの社会学者としては珍らしく、評論家として身を起こし、文明批評的な方法を駆使する社会学者として、業蹟を評価されて大学に戻った人物である。そのベルが1960年に出版して、世界的に著名となった著作に「イデオロギーの終り(The End of Ideology)」という本がある。この本の序文はジャーナリズムと、学界との2つの世界に足をかけた著述家としてのベルが、社会批評の方法について述べた貴重な文章である。

第1にこの序文に従えば社会評論は思想の問題に敏感な、一般の読者を相手にするものであるとペルはいう。専門的な訓練を受けたアカデミー用して仮説を検証しようとするであろう。彼らにとって社会批評は、厳密な実証的な分析ではなく単なる印象に基づいた、非科学的な議論かもしれない。しかしながらベルは、あえて自分は思想への関心と社会への広い見通しを示し、社会批評の立場に立つという。彼はこのような現実を広く把握する仕事に関心を持っているという。ペルの意見によればこのような方法に比較して、アカデミごは、広い視野を備えた社会学であり、また現実の「あらゆる側面を知りつくす」という意味での社会学なのである。

第2にベルによれば社会評論家は自分の支持する価値を明確に示すことが大切であるという。社会評論家は自己の価値を公けにすることを、避けるわけにはいかない。そしてベルは自分のとる立場は、絶対的な真理を主張しようとする世界観に反対するものであると言う。それは如何なるドグマにも、反対するものであるという。評論家は自分の立場をハッキリさせなければならないと私か前に述べた問題を、ペルは価値の問題として論じているのである。

第3にベルは社会批評家は疎外の厳しさを忘れてはならないという。「イデオロギーの終り」という著書を書いたベルは、当然、自己の採用する立場はイデオロギーに反対するものであるという。こう述べたとき、ベルは絶対的な真理を主張しようとする世界観あるいは思想体系に、反対していたのである。しかしイデオロギーを否定するからには、そのドグマを批判するだけでは、十分ではないと彼は言う。イデオロギーを否定する評論家は、他方では現在の社会を批判する仕事を、忘れてはならない。こう考えるベルは批評家にとっては、信条よりも懐疑の方が大切であるという。