財務省・ウォール街複合体

アジア通貨危機のはらむ問題を、あらためてアメリカを中心とするマネー循環の回路のなかで捉えなおしてみると、皮肉なことに、日本発のマネーがアメリカを経由してアジアに環流し、通貨供給量を膨張させたあげくの「危機」であったという事実に突き当たる。

ヘッジ・ファンド自体が、もとをただせば日本の異常な低金利を活用して、投機資金を調達しているのである。著名な投機家ジョージ・ソロス氏が、日本開発銀行にまで融資を打診したという話も伝えられている。

さらに重要なことは、アメリカの政治力がこうした投機筋の動きを支援したという以下の経緯であろう。1997年の春にヘッジ・ファンドが動き始め、パーツへの売り投機を開始したとき、タイ政府はパーツの空売りを締め上げる作戦に出ようとした。

ヘッジ・ファンドが空売りしたパーツを買い支えて、ヘッジ・ファンドが高値で買い戻さざるを得ないようにしむけたのである。こうしたタイ政府の市場への干渉に、市場の論理をふりかざして立ちはだかったのがルービン財務長官であった。

アジアの経済危機に関連して、アジア的なクローニー・キャピタリズム(仲間内資本主義)の問題が、米系のメディアを中心に大きくクローズ・アップされた。しかし、ここで注意を払わなくてはならないのは、そうした特殊アジア的な資本主義と1997年の通貨危機とのあいだに、何ら直接的な関連はなかったということである。

降ってわいたようなアジア通貨危機の原因を、この地域の旧来からの経済社会体質に求めるのは、明らかな論点のすり替えである。むしろ、ルーピン財務長官の、いかにもウォール街らしい市場観が大きくものを言う、現代の資本移動の問題点にこそ目を向けるべきであろう。

ドイツ銀行の資料によると、ASEAN4ヵ国と韓国をめぐる民間資金の流出入額は、1996年には930億ドルの流入であったものが、翌1997年には210億ドルの流出に転じており、この動きは5ヵ国のGDPの10%にも相当するという。

かくも急激な資金の流出入があっては、どんな国の経済システムも自らを維持することは難しい。ここ20年来のシンボル経済化の流れのなかでは、投機的資金の動き一つで容易に一国の経済が破壊される。そうであるならば、こうした資金を味方につけることも、これからは経済戦略の一環として重視されることになるであろう。

アジア経済危機の教訓は、じつはそこにとどまらない。IMFという国際機関が、それ自体、ドル基軸体制を前提として機能しているという現実も見逃してはならないだろう。タイの通貨危機に関してルーピン財務長官の取ったスタンスは、結果的にタイ経済をIMFの傘下に導くものであった。

コロンビア大学国際経済学者、ジャグディッシュ・バグワティ教授は、「フォーリン・アフェアーズ」1998年5、6月号で、かつてアイゼンハワー政権が警告した「軍産複合体」に代わって、現在は「財務省ウォール街複合体」が国際金融を取り仕切っていることを批判している。同じ思考回路を持つエリートが、ウォール街から財務省国務省、さらにはIMF、世銀といった国際機関の主要ポストを動き回り、「ウォール街・スタンダード」を推進している光景が浮かんでくる。

1997年の危機にあたって、タイ、韓国はIMFの傘下に入り、インドネシアではその圧力のもと、スハルト長期政権が倒れた。そしてその一方で、これら東アジア、東南アジア各国では、アメリカ系資本による現地資本の「底値買い」が進んでいる。

業種的には携帯電話などの情報通信関連、建設・不動産関連などが、新たに米系資本の傘下に入ろうとしている。非アジア系企業によるアジア(日本を含む6ヵ国)地域・企業の買収は、1998年上期に120億ドルと、前期比3.5倍のペースである(采調査会社「セキュリティーズ・データ」による)。

アジア経済の破綻は、円高攻勢を逃れて形成された日本経済のフロンティアの崩壊を意味する。日本もまた、アジア諸国と同様、アメリカの実質的コントロール下で経済の再建をはからねばならない、少なくともアメリカはそう認識しているということである。

なぜ、このような現実を迎えなければならなかったのか。円高対応という守りの選択ではあったが、対アジアの直接投資は、本来は円圏成立のための基礎的条件を醸成するはずであった。ところが、アジアが実質ドル圏であるために、日本の投資はかえって日本経済をドル圏に深く組み入れる結果となっている。

ここで想起されるのが、1980年代、マレーシアのマハティール首相が提唱したEAEC(East Asian Economic Caucus)構想である。この「東アジア経済協力体」構想は、当時、アジアにおける円経済圏への展望を示したものとして注目された。

こうした動きが実を結んでいれば、EAECの域内では、1997年のような危機は回避され、円基軸の安定した投融資の恩恵を日本も域内国も、ともに享受できたはずである。また、そうした円経済圏を背景としてはじめて、日本は円の対ドル・レートを相対的に安定させ、世界最大の債権国としての本来的な対外投資を継続することができたのではないかと思われる。

しかし、この構想は、日本がASEANアメリカの板挟みにあうなかで頓挫した。円経済圏の創出は、アメリカの死活的利害に関わるため、べー力ー国務長官が宮澤首相に強力な圧力をかけてこれを断念させたのである。

EAECは太平洋を分断する、APECアジア太平洋経済協力閣僚会議)こそが双方の利益にかなう、これが一貫したアメリカの立場であった。APECは、もともと日本の通産省がオーストラリアと組んで実現したものだが、すでにアメリカのコントロール下にある。